2008年10月23日木曜日

農業芸術概論

宮沢賢治が1926年に書いたもの。私は日本大学芸術学部を卒業後、全農の関連会社、当時は「同仁社」に1980年に入社、8年を務めその後札幌の広告代理店「協同広告社」に、営業プロデューサーとして入社。その時の上司「藤田幸右(こうすけさん)」氏に教えられたその本のことである。彼の言葉では「この灰色で過酷な労働を舞踏の域まで高めよ」だった。宮沢賢治のこの本では表現が微妙に違うが、本質は突いているのではないか?

芸術学部を出て、農業団体に勤め、そして広告代理店で働く。その巡り合わせのかなで、こうすけさんとであった。彼も又宮古の出身で宮沢賢治と同じ岩手の出身。こうすけさんは、宮沢賢治を日本の有数の哲学者として語ってくれ、そして農業芸術論のことを
おしえてくれた。そのことは、いまでも自分の価値観に大きな影響をもたらししている。

詩人としか知らなかった宮沢賢治が農業を行っていた事実や、このような論文まで残していたことなどは知らなかった。

耕すこと(cultibate)=文化(culture)が同じ意味からきていると知ったのもその頃である。
農業=自然との対話
自然の中に神を見たり、そのことへの理解や畏怖は、日本の独特の文化。

「山紫水明」
「花鳥風月」

日本には、自然を文化は生活、哲学は宗教にまで取り入れている言葉や習慣が、
まだまだ沢山あるのではないだろうか?


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